元々の仕事を拡充していく過程で、効率を上げるために、コンピュータを利用しようと思い購入しました。しかし、ここで大きな壁にぶつかりました、今のようなパーソナルなコンピュータのまだ無い時代の頃で、「オフイスコンピュータ」と言う、特別なプログラムの必要なマシンでしたので、とても一般の人が簡単に利用できるような物では無いと言うことに気がつきました。しかし、一度購入した物を、利用ができないからと言って簡単にあきらめる訳には、いかないような高額な投資でした。

 仕事の時間をさいて勉強しても、なかなか理解が出来ない毎日でした、教えてもらえる人や、場所も地元には無く、名古屋や、東京などへ出向いて勉強する中で、一つのことに気がつきました。「私はパソコンを作るために勉強するのではなく」「パソコンを道具として利用するために勉強をしなければいけない」と、言うことに。このことに気づいてから、図書館などへ出向いては「膨大な書籍がコード番号によってきれいに分類されている事」や「大きな会社の資料がキチッと分類整理されている事」などを、実際に理解できるまで見たり聞いたりして、整理整頓について勉強しました。

 色々な勉強をしていく中で、少しずつ理解できたり疑問が解けていくとコンピュータが楽しくなっていきました。
 しかし、こんな難しくて高価なパソコンで無くても、一般の人が利用できるような「もっと簡単な、誰でも使えるパソコンが必ず近い未来に登場するだろう」と期待いしつつ、その日までがんばって勉強しようと、自分なりに誓いました。

 何年か過ぎた頃、その時がきたのですが、やっぱり機械を買っただけでは、すぐには利用出来ない事は変わりない事が解り、「ハードウエアやソフトウエアだけではコンピュータは利用できない」「使い方や、操作方法」もパソコンとセットにして提案する仕事が必要だと思いました。
 私のようにパソコンを買っても、すぐに利用出来ない人たちが「きっと沢山みえるだろう」「苦労をしても独学ではどうにもならない人も沢山いるだろう」と、思ったときに「少しでも自分の苦い経験ががみんなの為になれば」と、思い「機械と操作指導とアフターフォローをセットにした販売方法」を実施するお店をスタートさせました。
 それが「コンピュータショップ」と、「ソフトハウス」を合体させた、現在の「コンピュータハウス」の呼び名の元になりました。

                             回答者:渡辺哲男

最初は「宝石・メガネ・時計のアイ・わたなべ」だったのに、なぜ「コンピュータハウス」もつくったのか?
ある中学校の「職場体験」生徒さんからの、ご質問にお答えした内容です。
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